2020産業カウンセリング第49回全国研究大会in関西

  協会創立60周年記念大会

 2020産業カウンセリング
 第49回全国研究大会in関西

基調講演:「日本人の心のかたち」

玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう)氏

玄侑 宗久氏

玄侑 宗久 氏

【プロフィール】
 小説家、臨済宗の僧侶、福聚寺第35世住職
 慶應義塾大学文学部中国文学科卒業。現在は福聚寺住職の傍ら、花園大学の客員教授、新潟薬科大学客員教授、福島県立医科大学経営審議委員、「たまきはる福島基金」理事長など。2001年、「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。2007年、柳澤桂子氏との往復書簡「般若心経 いのちの対話」で第68回文藝春秋読者賞、2012年、仏教伝道協会より第1回沼田奨励賞受賞。2014年には東日本大震災の被災者を描いた短編集「光の山」にて芸術選奨本賞受賞。近著に被災地での恋と放射能の悩みを綴った「竹林精舎」(朝日新聞出版)がある。


 このところ、すべてを「スピード感をもって」「効率よく」進められることばかり求められている気がする。しかし、本来日本人は「善は急げ」と「急がば廻れ」をほぼ同率で併用する「両行(りょうこう)」の文化をもっていた。「栴檀は双葉よりも芳し」と「大器晩成」も同じような「両行」である。
 「両行」とは、中国の『荘子』に由来する言葉だが、対立する価値観の双方を認めることだ。『日本書紀』にはすでに「陰陽」という言葉が7カ所も出てくるから、おそらくその頃には「両行」の考え方も入っていたのだろう。
 真名と仮名を併用する日本語をはじめ、貴族と武家、「わびさび」と「伊達・婆娑羅」など、あらゆる分野で日本人は「両行」を取り入れてきた。たとえば働き方についても、朝鮮半島から入った「部の民」という今の部課制度の元になった在り方に対し、日本には古来「伴(とも)」と呼ばれる仕事の仕方があったのをご存じだろうか。
 「部」の方は仕事の種類で場所が分かれるから効率はいい。しかし古来の「伴」は皆でいま忙しいところを手伝うシステムだから、皆が皆の仕事内容を把握でき、著しく和合を促すのである。
 「両行」は価値観を固定化させず、いわば活発で優しい心を涵養する。反対の考え方にも理解を示すわけだから、優しくなれて当然だろう。またそれは元々日本にあった「け(自然の生産性の象徴)」の考え方にも合致し、この国の心のかたちを当初から基礎づけてきた。異質なものの出逢いが新たな発生(=け)を促すと考えたのである。
 日本の神話にも遡りながら、いま失われつつある日本人の「両行」と「直観」の文化について考えてみたい。「直観」もじつは「両行」を源にしている。いずれもAIには代替できない我々人間だけの心のはたらきである。


特別講演:「5度の手術を乗り越えて……今」

生稲 晃子(いくいな あきこ)氏

生稲 晃子

生稲 晃子 氏

【プロフィール】
 1986年6月フジテレビ系「夕やけニャンニャン」おニャン子クラブオーディション合格。おニャン子卒業後は、女優・リポーター・講演活動等で活躍。主な出演番組に「暴れん坊将軍」(テレビ朝日系)、「キッズウォー」(TBS系)、「芸能花舞台」(NHK)等。
 乳がん闘病を綴った「右胸にありがとう そしてさようなら」(光文社)が発売中。現在は、「スイッチ!」(東海テレビ)火曜レギュラー、「直撃LIVEグッディ!」(フジテレビ系)水曜レギュラー。「働き方改革フォローアップ会合」民間議員や、厚生労働省ガン対策推進企業アクションアドバイザリーボードも務める。心理カウンセラー、メンタルトレーナー。


 2011年、久しぶりに受けた人間ドッグで乳がんが見つかりました。マンモグラフィでは異常がなかったのですが、超音波で再検査となり、その結果悪性であると告げられました。がんという2文字は、やはりショックでした。現実のこととして受け止められない自分がいました。ただ、8㎜という早期の状態で発見していただいたので少し安堵したことを覚えています。
 しかし、手術をしていただいたのですが、翌年再発しました。もう一度繰り返さなければならない恐怖、不安、痛み…。なんという人生なのだろうと思いました。それがまさか自分の身に起ころうとは…。悲しいことに、私の乳がんはそれで終わりませんでした。さらに次の年、2度目の再発。初期のがんだったはず、早期発見でラッキーな患者だったはずでした。最初にがんが見つかった時よりも深刻な事態が待ち受けているだろうと覚悟はしていましたが、主治医から右胸全摘出の話があった時は初めて診察室で泣きました。もちろんショックではありましたが、あまり悩むことはありませんでした。私は娘のために命を優先しなければ! 娘が成人するまでは死ぬわけにはいかない、生きていなければと右胸とさよならすることを決めました。
 私は健康番組に長く携わっていたので、公表を控えていました。でも、2度目の再発を乗り越えた時に、せっかく生きるか死ぬかの病気になったのだから、この経験を話すことで誰かの力になれるのではないか、命の大切さを一人でも多くの方に伝えていくことができたら、この闘病生活も私の人生の中で決して無駄な日々ではなかったと思えるかもしれないと考え、再建手術まで終えたのち公表させていただきました。
 また、この病を経験したことがきっかけで、2017年3月まで、内閣府の働き方改革実現会議の民間議員として、安倍総理大臣議長のもと、会議に参加させていただきました。この会議の中で、トライアングル型支援というものを提案させていただき、働き方改革実行計画に盛り込んでいただきました。私は治療と仕事の両立支援には、医療側と会社側がしっかり連携を取ることが大切ではないかと考えました。医療側と会社側、そして2つをつなぐ役目などとして、両立支援コーディネーターを置き、患者である労働者を支援していくというものが私が考えたトライアングル型支援です。この支援が確実に定着し、そして急速に進んでいくことを期待しています。

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